みなさまご承知のように「七夕」は「引き離された『おり姫』と『ひこ星』が天の川をはさんで7月7日に年に1度だけ会える日」ですよね。
なのにどうして、仏教に関係するのか不思議に思わないですか?
自分は不思議だったので調べてみました。
七夕」と書いて「たなばた」と読みますが、不思議に思いませんか?
「七(しち/なな)」も「夕{ゆう/せき)」もどちらも「たな」とか「ばた」に繋がる漢字ではありません。つまり「七夕」は当て字であり、本来は「棚機」と書きます。
ではなぜ「七夕」と書くようになったのでしょうか。陰陽では奇数は陽数として、その奇数が重なる日は縁起のいい日と考えます。
その中でも特に重要な日を五節句といいます。1月7日 人日(じんじつ)の節句…七草がゆを食べる日
3月3日 上巳(じょうし)の節句…ひな祭り
5月5日 端午(たんご)の節句…こどもの日
7月7日 七夕(ゆうせき/たなばた)の節句…星祭り
9月9日 重陽(ちょうよう)の節句…菊の節句七夕も五節句の1つであり、古くより技芸の上達を短冊に祈り笹の葉に吊しました。
またこの日は七日盆(なのかぼん)とも呼ばれ、墓掃除をしてお盆の準備をする日ともいわれています。
お盆にはは少し早い気がしますが、明治以前は陰暦を用いていましたので当時の七夕は8月の始め頃に当たります。
また各家庭では7月7日夕方より庭先に笹の葉を立て、お願い事を記した短冊を吊しました。
このため「七(日)の夕」と書いて「たなばた」と読むようになったそうです。
さらに笹の葉と供に御先祖さまをお迎えするため、「派手な絵を描いた」提灯を軒先に吊したそうです。これが発展したものがねぶた祭の「ねぶた」であると言われています。
当時は各地とも七夕祭りが隆盛したそうですが、現在も各地で開催される夏祭りはこの名残なんですね。
-金倉寺かわらばんよりー
これは知らなかったです。
そして、その7月7日にただの「七夕めぐり」とは違ってここだけだろう、善通寺市、三豊市、多度津町にある7つのお寺「四国霊場」での特別な「四国霊場7ヶ寺で七夕めぐり」してきたレビューを書きますね。
御朱印受付時間 7時~17時
七夕🎋めぐりについて
雰囲気・穴場度
お遍路の巡拝方法はこれといった決まりはなく、どこから始めても、一度にすべてめぐらなくても大丈夫です。 1番から番号順に参拝することを「順打ち」といい、これがオーソドックスなめぐり方。 88番から反時計回りにめぐることを「逆打ち」と言います。
それで、自分はオーソドックスな「順打ち」で回ることにしました。
しかし、夜8:30スタートしたら、何と七ヶ所の寺行ったにもかかわらず、誰にも会わなかったという寂しい結果になりました。
それと、会わなかったゆえに多少の怖さは有りました。
しかたないです。しかしそこはお遍路さんで霊場巡りしてるという事で「同行2人」の精神と何かご利益あることをを信じて行きました。
魅力・見どころ
第七十一番 弥谷寺(いやだにじ) 大黒天
まずは、「第七十一番 弥谷寺」からスタートです。
ここでは「表参道」と「裏参道」の二つの参道があるのですが、「表参道」から行くことにしました。
と言うより、グーグルマップで検索したらここに着いただけなんです。
何もリサーチせずに来て、いきなりこの雰囲気には不安がよぎりました。でもそこは四国霊場だけに「同業二人」という事にして先に行くことにしました。
7月7日 夜8:30「七夕めぐり」始まりです。先はどうなることやら・・・・!?
大きさからして「金剛拳菩薩(かなぶつさん)」だと思います。そうだとしたら
十六大菩薩の最後に位置し、成就を司るといわれ、弥谷寺では病におかげがあると昔からいわれ「かなぶつさん」と呼ばれ信仰されているとの事。元禄年間20年かけて鋳造されました菩薩像とのことです。
なんと、凄い菩薩像です。
阿弥陀仏と比丘尼谷
幼子を亡くした女性が悲しみのあまり帰れずにいると、そこに阿弥陀仏が現れ、悲しみ振り返ってばかりいてはいけないと説き、下山させた。
その後、悟りを開いた女性は比丘尼(尼僧)となって衆生を救済し、いつしか阿弥陀仏の現れた谷は比丘尼谷と呼ばれるようになった。
『過去を振り返り悲しんでばかりいてはいけないという阿弥陀仏の教え』は、現代でもあてはまるかと思われます。
御参拝の際は。阿弥陀仏・比丘尼谷(水場から本堂までの岩場)でもお手を合わせ頂ければ幸いです。
-弥谷寺HPより引用-
こういう事があるからでしょうか「弥谷寺」は心霊スポットしても有名で肩を叩かれたり、背中を叩かれるという心霊現象が起きているとのことです。
そして叩かれたら決して振り返ってはいけないと言われています。
昔話
「弘法大師と守敏大師の法力比べ」
むかし、むかし、たいそうえらいお坊さん2人が法力合戦をしたんだとさ。
その日は秋というのに、朝からたいそう蒸し暑い1日だったそうな。
里人たちは「今日は大変な1日になるぞ。」「盆と正月が一緒にきたようじゃ」と口々にひゃしたてたという。
それもそのはず、火上山の天辺から山の下まで一夜にして井戸を掘るという【守敏大師】。一方、弥谷寺の裏山に四万八千体の摩崖仏を彫るという【弘法大師】。
どちらのお坊さんも四国はもとより日本で二人といない立派な坊さんだから、里人たちにとればこんな素晴らしい「法力合戦」を目のあたりに見えるのだから、興奮するのも無理がないこっちゃー。
「おい、今日の法力合戦どっちのお坊さんが勝つのかのー。」里人達は、2人、3人よれば口々に大変なさわぎとなった。
「だけどなー」「勝負は誰がきめるのじゃ」「それは、偉いお坊さんの事、自分自身で合図の狼煙を山より上げるのじゃそうな-。」
「それじゃ、わしらはここから山を見とったらわかるのじゃのう。」「そうじゃ、その後山に行って実物を見たらわかるがなー。」「楽しみやのー。」「はよう、朝がこんかのー。」とさわぎたてた。
2人のお坊さんは日暮れと共に、一心不乱に摩崖仏と井戸掘りを始めた。それはそれは、お坊さんが1人で彫ったり、掘ったりしているものとは思えない程、素早い動作で掘って、彫っていったという。
時が過ぎ、東の空が白く夜が明けてきた。里人達は、息をころしてどちらが勝つか、火上山と弥谷さんを今か今かと眺めていたんじゃとさ。
その時、東の空に紅い帯を引いた朝焼けの火上山の天辺より”のろし”があがった。里人たちは、その狼煙を見て、「守敏大師が勝った。」「勝った。」とさわいだ。
ところが、本当のところ、守敏大師はまだ、2、3メートル残したところで、狼煙をあげたのじゃそうなぁー。一方、弘法大師は、夜があけると共に、ノミや石鎚をかたずけ、摩崖仏に魂を入れ、ご来光を待っていた。
自分が勝負に勝った事は分かっていたが、狼煙をあげることはしなかった。人間のする事は、「勝ち負けではない。」里人たちはさわいでいるが私がした事は後世の人達にはきっと解かってもらえるものと信じ、己が一心不乱に彫った、
「摩崖仏が人々の祈願を叶えてくれることで」答が出ると確信し、勝ち負けにこだわらなかったという事じゃー。「えらいもんじゃのうー。」
それにひきかえ、自分が勝負のみを考えた『おのれの心の貧しさ』を感じ取った守敏大師は、火上山山麓に「おのれの心のおろかさを」弘法大師や里人達にお詫びする為、弥谷山に向かって石仏を彫ったのじゃそうなぁー。
その石仏は、座って心を静め、目から涙を流している石仏だったとさぁー。
-弥谷寺HPより引用-
第七十二番 曼荼羅寺(まんだらじ) 福禄寿
第七十三番 出釋迦寺(しゅっしゃかじ) 恵比寿
この夜景ちょっとした展望台から見るくらいの光の量は有ります。
まさか、ここで夜景が見れるとは思ってなかったので、意表を突かれた感じです。
昔話
お大師様がまだ「真魚(まお)」と申された七歳の時、衆生済度の大誓願をたて、将来仏門に入って民衆を苦しみから救いたい。この大任が果たせるか、どうか釈尊の証明を仰ぎ奉る。
仏は一心にお祈りすれば、お姿を現し霊験をお示し下さるとのこと。私の願いを叶えて下さるならば、どうかお姿を拝ませて下さい。もしそれが叶わないならば、この身を諸仏の供養として捧げます。」と、
一心に仏を念じ高い崖から身を投じられた。すると不思議や天女が忽ち天下り、大師を抱き止め元の所へ置かれると同時に、眉間より光明を放ち百宝の蓮華に座した釈迦牟尼仏世尊が現れて「大願成就」のしるしを示されました。
この不可思議なるお釈迦様の有難さに感謝し、後に出家し大成されるきっかけになったと言うことです。
-出釋迦寺ホームページより-
第七十四番 甲山寺(こうやまじ) 毘沙門天
峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師
朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。
すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。
朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。
-甲山寺ホームページより-
第七十五番 善通寺(ぜんつうじ) 布袋尊
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」(がらん)と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域、御影堂を中心とする「誕生院」は、弘法大師が御誕生された佐伯家の邸宅地にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています-善通寺ホームページより-
もう一度「鐘楼」が明るかったので撮影してみました。
「善通寺」の魅力は真言宗善通寺派の総本山であるということ
金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えているところ
そして、御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめているところが魅力です。
第七十六番 金倉寺(こんぞうじ) 弁財天
ここも本来の駐車場は閉まっていて、近くに車を停めて行けそうな所を探しました。まったく初めての上に土地勘もないので、ただただお寺に行けそうな道を探しました。
この看板を過ぎて少し行ったところから、何とか入ることが出来ました。
他人が見たら、絶対あやしい人だろなと思いながら、でも七ヶ所めぐりするには行くしかないと言う感じで行きました。
最初に目に着いたのはこの「四国八十八ヵ所お砂踏み道場」の建物です。何があるんだろうと思って、帰ってから調べると
1200年以上の歴史がある四国八十八ヶ所霊場巡りですが、昔は今のように交通の便も発達しておらず、遍路の旅を願いながらも様々な事情で叶える事ができない方が大勢いました。
そこで約400年前に考えられたのが「お砂踏み」です。
各霊場のご本尊様の写し仏をお祀りし、持ち帰った八十八ヶ所霊場のお砂を踏みながら礼拝することで、お四国を巡ったことと同じ功徳をいただけると考えられてきました。
-四国八十八ヵ所霊場会のホームページより-
という事で早い時間に来てたら絶対行ってると思いました。
境内の案内図があったので助かりました。
手前から「観音堂」「訶利帝堂(かりていどう)」「本堂」の順で並んでます。
ここは「訶利帝堂(かりていどう)」です。「金倉寺」の由来を知れば大切な建物であることが分かりました。
地元の人々から「おかるてんさん」の愛称で親しまれてきた金倉寺の訶利帝母(かりていも)さま。
鬼子母神(きしもじん)さまとも呼ばれ、子授けや安産、また子供や女性の守り神さまとして古くから信仰されてきました。
一般に訶利帝母さまといえば女神像、鬼子母神さまといえば鬼神像をされていることが多く、金倉寺のおかるてんさんも女神像になります。
金倉寺とおかるてんさんの縁は古く、今からおよそ1200年ほど前の弘仁9年(818)のことになります。
境内で遊ばれていた智証大師さまの前に突如女神さまが現れ、「私はあなたの仏道修行を守護しましょう」とおっしゃいました。
この女神さまこそおかるてんさんであり、その御影を刻んで訶利帝堂にお祀りしたのが始まりです。
またこのおかるてんさん出現の話は日本最古の記録であるため、金倉寺のおかるてんさんは「日本最初出現訶利帝母」ともいわれています。
-金倉寺ホームページより-
ここが「大師堂」です。ここも電気がついてて助かりました。
「大師堂」前にはかわいらしい、お遍路さんが「大師堂」と知らせてくれてます。
これは疲れもいえますね。
「大師堂」には立派な「弘法大師」「智証大師」「神変菩薩」と書かれた扁額(へんがく)がありました。「金倉寺」の本堂は四国霊場で唯一五祖師を安置する祖師堂とのことなので、貴重な大師堂に参拝しました。
そして、これは「大師堂」から境内を撮影した写真です。
ありがたいことに「本堂」にも明かりがついていました。
そして、七夕飾りもありました。今回の七夕めぐりで七夕飾りに出会えたのは2社目
正直、七夕飾りは撤去されてて見ることは出来ないと思っていただけにうれしかったです。やっぱり七夕ですから。
それと、金倉寺には「牽牛織姫画讃」、つまり織姫と彦星の絵が所蔵されているのですが、それが見れなかったのは残念です。
大半は子供たちか、お遍路さんが書いた短冊でしょうけど良いですね。
願い事書いて飾りたかった。残念ですがこれが夜来たものの宿命ですかね?
「大師堂」と反対の方の境内を撮影して、次に向かいました。
第七十七番 道隆寺(どうりゅうじ) 寿老人
寿老人の団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。長寿延命、富貴長寿の神
ついに七十七番札所「道隆寺」にやってきました。
本来の駐車場には入れなかったので、すぐ横の「お遍路さん専用駐車場」に停めました。
入って行くと、ここも閉まってるのかなと、いやな予感がしました。
閉まってると言うよりは本堂とか寺の裏側と言う感じで、横にまだ道があったので歩いて行くことにしました。
そこで、何故か「正一位 加茂稲荷大明神」と書かれた看板がかかった鳥居を見つけました。ここに稲荷神社がある?と少し不思議に思いました。
境内の様子はこんな感じです。
創建当初は桑園が広がっていたといわれる多度津町。
西暦712年、当地の領主である和気道隆が夜ごと怪しい光を放つ桑の大木の方向に矢を射ると、誤って矢が乳母に当たり亡くなってしまいます
これを悲しんだ道隆が桑の木で小さな薬師如来像を彫造し、草堂に安置して供養したのが寺の初めといわれています。
「道隆寺」の本堂は作りが、何か特徴あります。もちろんそれだけ建立されてから年月が経っているのでしょうけど、気になる作りです。
本尊は「薬師如来様」なので「薬師如来」の扁額(へんがく)があります。
そして、ここには小僧さんがチャンとここが「本殿」と分かるように、「道隆寺」の案内をしてくれてます。
ここは「大師堂」です。本堂に比べたら小さいですが、ここも作りに特徴があります。
ここでは、小僧さんが「大師堂」の案内をしてくれてます。
境内のようすです。立派な石塔と観音様の多いこと、今回の七つの寺の中で一番観音様の像が多いです。
次は「仁王門」です。明るい時間帯なら仁王様も見れたのに残念!
「仁王門」の所から外の様子を撮影してみました。暗くてよくわからなかったです。
そして帰ろうと思ったら、「七ヶ所まいり」の看板を見つけました。
下には丁寧にお寺からお寺までの歩きと車の距離と時間が示されていました。ご親切にありがとうございます。
案内板には「四国八十八番寺社名勝(寛政12年)に「足よわき人は此印七り七ヶ所めぐれば四国巡礼にじゅんず」ときされている七ヶ所
各寺にはみなさまをお守りくださる「ご本尊」やなでることで福を授かる「七福神なでぼとけ」などがおまつりされ、七ヶ所を参拝することで七つの福運を授かることができます。」
と書かかれてます。こんなに長い歴史があるなんて知りませんでした。
それともう一枚
目なおし薬師さま・潜徳院殿さま・日本百観音と「道隆寺」の見どころが書いてありました。
「道隆寺」は特に「眼なおし薬師さま」として有名で
「目なおし薬師さま」のルーツは、幼少より盲目だった丸亀京極藩の京極左馬造公が、ご本尊の薬師如来に祈願したところ、全快し、
以後医学を学んで「眼病の達人」と呼ばれるほどのご典医になったということから、「道隆寺の眼なおし薬師さま」として知られるようになったとのことです。
道隆寺の境内参道では、仁王門から本堂脇や裏門にかけてずらりと並ぶ観音様も目をひきます。
観音霊場として名高い各地の本尊、水子供養や交通安全などの観音様など、おびただしい数の観音像が並び、参道を歩けば百観音を参拝したご利益が得られるという事で
255体もの観音像と大聖観音さまがみんなの道中の安全をお守りしてくれるとのことです
正直、観音様の多さにはビックリします。
そして、「四国霊場七ヶ所まいり 七夕めぐり」の最後を締めくくりは、境内に居たときにはそんなに気にならなかったのですが、帰りぎわに「多宝塔」が気になって撮影してみました。
ここで、夜中の12時40分くらいでした。何と全行程車4時間半ほどで回れました。
これが、昼ならもう少し時間かかったと思います。
後は御利益があれば良いのですが、七夕の日に「四国霊場七ヶ所まいり 七夕めぐり」ができて良かったと思います。
こんな人におすすめ
カップルにはどうですか?
カップルにはおすすめです。普通の日でもいいですけど、特に七夕の日になると、いつも以上にご利益ありそうな気になります。
それに、一時的にせよ聖域へ足を踏み入れたような気になるはずです。
シニアにはどうですか?
シニアの方にもおすすめです。お遍路さんとして本来は八十八ヵ所めぐる方が良いのでしょうけど、七ヶ所めぐるだけでも十分だと思います。
友達同士にはどうですか?
バイクの好きな方達なら、もしかしたら車より早いかも?ツーリングで7カ所回ってみるのも良いと思います。
1人旅にはどうですか?
1人旅でも大丈夫です。なにしろお遍路さんですから「同業2人」弘法大師様と一緒です。
ファミリーにはどうですか?
ファミリーにもおすすめです。多少厳しいところは有りますが、楽しめると思います。子供さんが四国霊場知るきっかけになることでしょう。
七夕🎋めぐりのまとめ
以上「四国霊場7ヶ寺で七夕めぐり」についてお伝えしてきましたが、いかがだったでしょうか?
この記事を通して「四国霊場」や「お遍路さん」・「四国霊場7ヶ寺」に興味を持っていただいたら幸いです。
最後になりましたが、ここまで読んでくれた方「お疲れ様でした」そして「ありがとうございました。
お寺の情報
第七十一番 弥谷寺の情報
香川県三豊市三野町大見乙70
0875-72-3446
厄除け(7時~16時)詳しくは電話で確認お願いします
参拝だけは24時間いけます。
無料
・表参道は、登り口より仁王門へ(本堂迄540段ほど)。
※無料駐車場有。
・裏参道自動車道を通ると、中腹270段目まで車で行けます。足下など不安な方ご利用できます。
※普通車 : 500円。 二輪 : 無料。
トイレ・ベンチあり
・表山道(登り口より本堂迄540段) : 参拝時間を含め、往復でおよそ70分程です。
・裏参道(中腹270段目より参拝) : 参拝時間を含め、往復でおよそ40分程です。
初心者ドライバーでも大丈夫です。
階段多い
第七十二番 曼荼羅寺の情報
香川県善通寺市吉原町1380-1
0877-63-0072
参拝だけなら24時間いけます。
無料
有料 バス4台、普通車20台同時駐車可
トイレ・ベンチは見つけられなかつた。
自分が停めたところからは、5分
初心者ドライバーでも大丈夫です。
階段はないですが、車いすは厳しそうです。
第七十三番 出釋迦寺の情報
香川県善通寺市吉原町1091
0877-63-0073
参拝だけなら24時間
無料
あり(無料)※普通車30台、大型車5台
トイレは見つけられなかった。ベンチはあります。
駐車場から8,9分
初心者ドライバーでも大丈夫です。
本堂までスロープですが、ところどころ階段あり
公式ホームページ
第七十四番 甲山寺の情報
香川県善通寺市弘田町1765-1
0877-63-0074
拝観、納経時間 7:00から17:00
無料
普通車約30台 無料
閉まっていて分からずじまい
駐車場から1分
初心者ドライバーでも大丈夫です。
閉まっていて分からずじまい
第七十五番 善通寺の情報
香川県善通寺市善通寺町3-3-1
0877-62-0111(代表)
参拝だけなら24時間
御祈祷等は受付 午前9:00~午後5:00
無料
高松自動車道善通寺インタ-より 約10分です。参拝者駐車場は境内の西側にあります。
最大収容台数:350台、ご利用時間:午前8時~午後6時、料金:普通車300円、マイクロバス・大型バス1,000円
トイレあり
自分が停めたところからは5分
初心者ドライバーでも大丈夫です。駐車場の確認は前もってやっとく方が良いです。
車イス利用者・お体の不自由な方へ
参拝者用駐車場から境内に向かう済世橋は車イスによる通行が困難です。かがわ思いやり駐車場(無料)をご利用ください。
第七十六番 金倉寺の情報
香川県善通寺市金蔵寺町1160
0877-62-0845
参拝だけなら24時間
御祈祷等受付時間 9時~17時
無料
二輪車無料、一般車200円、マイクロバス300円、大型バス500円となっています。
夜で分からなかったです。
自分が停めたところからは 8,9分
初心者ドライバーでも大丈夫です。多少道幅が狭いところあり
本堂・大師堂等 すぐ側までバリアフリーで行けます。
第七十七番 道隆寺の情報
香川県仲多度郡多度津町北鴨1-3-30
0877-32-3577
参拝だけなら24時間行けます。
御朱印等は 7:00~17:00
無料
普通車の場合約30台分可。マイクロバスの場合7台、大型の場合4台可。7:00~17:00
トイレは分からなかったです
自分が停めたところからは 5分
初心者ドライバーでも大丈夫です。
本堂等前まではバリアフリーで行けます。
公式サイトがないので「多度津町観光協会」のホームページ
参考リンク
キムランのユーチューブチャンネル
キムランのツイッター
キムランのおすすめ四国夜景4選